[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

Vietnam Watching

★現ベトWebは
鈴江康二が
お届けします。
ご意見、ご感想は
こちらへ

★ゲストブックは
廃止しました。



【推薦図書】
メコン発 
アジアの新時代

薄木秀夫
(毎日新聞元バンコク特派員)
凱風社

チベットに源を発し、ベトナム南部で南シナ海に注ぐ国際河川メコン。この流域の国々の歴史や文化はメコン川を抜きには語れないし、人々の生活は常にメコン川と共にあった。著者は、タイ、ラオス、ベトナム、カンボジアなどの「昨日・今日・明日」を長年取材してきた新聞社特派員。メコン川に寄り添う形で流域諸国の実情を簡潔に綴った本書によって、読者は観光旅行だけでは見えてこない歴史的・社会的ポイントがぐっと身近になるはず。ビジネスマンや市民教養講座のテキストにも最適。

◆定価1800円+税
◆四六判 272頁 並製

2004年5月下旬発売



【推薦図書】
『ベトナムから来た
もう一人の
ラストエンペラー』
森 達也 著
角川書店

僕らの王子は日本
に殺されたような
ものなのに、どうし
て日本人は誰もこ
のことを知らないの
ですか−−。
日本に憧れ続け、
そしてその日本か
ら裏切られ続けて
死んでいったベトナ
ムの王子クォン・デ
の生涯を感動的に
綴る。
2003- 07- 10
本体1700円
(税別)




【推薦図書】
『憎しみの子ども
―ヴェトナム戦争後
のもうひとつの悲劇』

キエン グエン著
宇佐川晶子訳
早川書房
発行:2001-09-30









【資料集・仏領インドシナと日本】
神戸大学附属図書館デジタルアーカイブの新聞記事文庫で関連記事を検索してみました。「仏印進駐」と呼ばれた時代の日本側のベトナム観が読み取れて有益です。随時リンクをアップしていきたいと思います。

「大阪毎日新聞」より
1940.6.29(昭和15)=仏印に見る西欧の暴虐
1940.9.16-1940.9.18(昭和15)=現地邦人に仏印を聞く (上・下)
1940.10.4(昭和15)=仏印の猛獣を語る
1940.10.6(昭和15)=我らの父来る/皇軍迎え河内の安南人狂喜
1940.11.9-1940.11.13(昭和15)=排日の街・ショロン (上・下)
1940.12.9-1940.12.12(昭和15)=南部仏印の経済座談会 (上・中・下)
1940.12.14-1940.12.15(昭和15)=仏国の弗箱ホンケイ炭鉱を見る (上・下)


【現代ベトナム研究所「復活宣言」】
この間、諸般の事情により開店休業状態にありましたが、2005年1月より「生きたサイト」再構築に向けて捲土重来を期します。そのために有志による記事、原稿を広く募集いたします。復活できない場合は、「歴史の屑箱」入り=サイトの閉鎖を実行する所存です。

【記事、原稿(無給)募集要項】
当研究所はウエブ上にのみ存在します。法人格を持った実体ある研究所ではありません。しかし、98年5月の開設以降、それまでのタブー領域に敢えて挑戦してきた実績は高く評価されています▼しかし、個人主宰サイトの常、持続力という点で限界に達していることは事実です。そこで、当研究所の主宰する「Vietnam Watching」というこのメディアを広く開放し、記事、原稿を公募いたします▼内容は「ゴリゴリの硬派路線」です。既存メディアが掲載しているようなデーリー・ニュースではなく、ある程度まとまった量と高い質を重視します。近代以降のベトナムの歴史、日越関係史に関する原稿も大歓迎です▼また、英文、ベトナム語等の外国語文献の翻訳ものも期待します▼最後に掲載にあたっては発行人が判断いたします。すべての寄稿が掲載されるわけではありません。高い専門性に裏づけされた、しかも学術論文にはない啓蒙精神をもった、読み応えのある硬派ジャーナリズムを目指します。

記事、原稿の送付先は以下のとおりです。
cachmang@yahoo.co.jp
※原稿はジカバリではなく、WORD形式添付ファイルでお願いします。

2005年1月
現代ベトナム研究所主宰・鈴江康二

【リンク】


ベトナムの社会主義市場経済は
論理矛盾をどう克服していく?
―ベトナム投資に侮れないナショナリズム―

(「力の意志」2003年1月掲載)



【おことわり】下記のコラムは鳥インフルエンザが広がる以前に書いたものです。ベトナムに行かれる方は、当分、路上の鶏市場には近づかないようにしてください。(す)

【新春・越南ほがらか節】
(20040105)
★ホーチミンの路線バスが大好き

○…最近はまっているのが路線バスである。1回どこまで乗っても2000ドン(約15円)という安さもさることながら、ベトナム庶民に混じって彼らの体臭をかぎ、車窓から外を眺めているだけで楽しい気分になれるからだ。

○…例えばベンタイン市場からチョロンのビンタイ市場までを結ぶ路線。これは旅行者にもお勧めである。昨年の夏頃までは、まだメコン自動車製のミニバスであったが、最近では冷房付きの大型バスで運行されている。

○…サイゴン中心部1区から中華街チョロンに向かう並木が美しいチャンフンダオ大通りを走り、やがて5区に入ると、カオダイ教の寺院や、その昔華僑が建てた階下が商店となった2階長屋などを、漢字入りの看板とともに眺めることができる。

○…そしてバスは生きた鶏やアヒルが雑然と路上に並べられたビンタイ市場前に到着するのだ。近くで海南鶏飯に舌鼓を打つのもいいだろう。○○電影院などと名づけられた映画館でカンフーを見るもよし、である。

○…最後に荷物さえ少なければ、タンソンニャット空港とベンタイン市場を結ぶ空港バスを利用してみるのもいい。安宿が集中しているファムグーラオ通りもちゃんと路線に入ってます。(す)

【新聞が書かないベトナム、書いても載らないベトナム】
欲求不満募るこの頃、さあIPSのフィーチャー記事を読もう!

出稼ぎ労働者の光と影
インタープレスサービス(IPS)
2000年7月19日

自国の有名ブランド商品を守れ
急がれる特産品の商標登録推進
日本での“盗用”騒ぎがきっかけ
魚醤油などの輸出に大きな損害

インタープレスサービス(IPS)
2003年5月12日

死者の霊守る木像の窃盗相次ぐ
観光客に高額で売り付け
彫り師の後継者不足も深刻
少数民族の伝統文化が危機に

インタープレスサービス(IPS)
2002年7月18日

増え続けるベトナム人妻
溢れる非登録の子どもたち
広西チワン族自治区
中越国境間の結婚問題

インタープレスサービス(IPS)
2002年11月20日

国境越えた人身売買が増加
「豊かな生活」に潜むわな
急がれる防止対策の実施
狙われるベトナム女性

インタープレスサービス(IPS)
2002年10月1日

アジアにおける女性と
子どもの人身売買問題について


国連開発計画
ベトナム人女性・児童の
海外への人身売買増加を警告




現ベト研は、イラク攻撃に反対します。

★サダム・フセイン大統領は別としても、罪のないイラクの民間人、とりわけ婦女子が殺されるのを黙認することはできません。「戦争は外交の手段である」とか、「国益優先主義」がまことしやかに論じられていますが、大事なのは人間の命です。それは米兵の命でもあり、イラク市民の命でもあります。

★私たち日本国民は、半世紀前にすべての営みを戦争によって奪われました。広島・長崎だけでなく、主要な都市は空襲によってことごとく焼き尽くされました。当時の天皇・軍部・政府の責任は別として、多くの市民が灼熱の炎にあえぎ、水を求めながら死んでいったことを忘れてはなりません。

★その経験が戦後、ベトナム戦争に反対する運動の原動力となってきました。ベトナムもまた、日本以上に国土を破壊し尽くされ、市民を殺され続けたのです。そしてその加害者・米国は、いまだ枯れ葉剤作戦による人体異常の責任を取っていません。クリントン政権末期にコーエン国防長官が訪越し、前進しかけたかに見えた「戦後補償」への長い道程は、ブッシュ政権下のラムズフェルド国防長官就任で、ほとんど動きを見せていません。



★仏独露中4国がイラク攻撃に消極的な中、「国連安保理決議がなくても単独での攻撃を辞さない」、米国はそう言明しています。そして小泉政権は積極的にこれに追随する姿勢を見せています。「イラク占領後の民政移管に助力してほしい」などとおだてられていますが、要は「金を出せ」ということです。しかし国民の税金は、戦争を防ぐために使われるべきであって、主権者イラク国民の頭越しで「民政移管うんぬん」を議論するほど、いつから日本はそんなに偉くなったのでしょうか。「戦争は外交の手段」と言う前に、日本は国家として最善の外交努力をしているのか疑問です。

★現代ベトナム研究所は、ベトナムの状況を客観的にウオッチすることを目的としています。しかし、それは手段であって目的ではありません。個々の断片的な知識をいくら吸収しても、それをどう使うかということが曖昧であれば、単なる物知りに終わってしまうのがオチです。いまこそ世界観・歴史観が問われているのです。このページに情報のみを求めてアクセスされる読者は、面食らったかもしれませんが、ことの緊急性に鑑み、あえて現ベト研としての「反戦宣言」を掲載しました。

【新春・巻頭言】
2003年1月1日
「交通戦争」をどうする

○…ホーチミンやハノイを訪れた方は誰しも、縦横無尽に走り回るオートバイの群れに驚かれることでしょう。ベトナム人には暗黙の走行ルールがあるようですが、慣れない外国人(非定住者)は、道路を横断するのに足がすくんでしまいます。とりわけ無数のヘッドライトが煌々と灯る夜は、何だかこの世の光景とは思われず、いっそう恐怖感が募ってしまうのです。

○…先日もホーチミン市内で道を渡ろうとして、ゆっくりと歩を進めたのはいいのですが、一方に気を取られすぎて、反対側からくるトラックにはねられそうになりました。自転車に乗っていて、追い抜こうとする後続のバイクに跳ね飛ばされた、10年前の悪夢を思い起こしました。

○…ベトナム政府は増えるバイク対策として、供給を抑えることを考えています。一つはバイクの組み立てに必要な部品の輸入枠規制、もう一つは新車の登録制限です。前者の場合では、ホンダやヤマハの現地工場で生産ラインが一時ストップし、日本は官民をあげて再考を求めました。「交通事故抑止のためと、ベトナム政府は言っているけど、これは自国産業の保護政策だ」との見解が、日本側の大方の見方のようです。

○…しかし筆者は、ベトナムで激増する交通戦争への対策は避けて通れないものだと考えます。「需要があるから生産する」「公共交通手段の貧弱なベトナムでバイクは各家庭の必需品」という意見も分かりますが、何かここで手を打たないと手遅れになるのは事実です。

○…それはバイクだけではなく、自動車にも同じことが言えます。都市部では余りスピードを出せないので、大事故にはつながらないようですが、一歩郊外に向かうと運転手は速度を上げ、何かに憑かれたかのように反対車線に出て先行車両の追い越しに全精力を傾けます。

○…南北を縦断する大動脈・国道1号は、外国の資金援助もあって近年かなりのスピードが出せるように路面が改良されています。それはいいのですが、ひっきりなしに通過する乗用車、バス、トラックを避けて、道を渡る沿道の村人たちは命がけです。信号や横断歩道はなく、老人たちは本当に苦労しているようです。

○…モーターリゼイションの波は現代化の過程で避けて通れないものです。戦後の日本もそうでした。供給規制だけでなく、道路行政や交通法規の強化、何よりも公共交通機関の整備が求められており、この分野で日本がもっとベトナムを手助けするべきだと思います。

○…その意味で昨年訪れたミャンマー・ヤンゴン市の交通行政は、ベトナムよりも先進的でした。バイク使用はほぼ禁止されており、車がメーンですが、信号や横断歩道も多いですし、何より公共バスが次から次にやってきて、帰宅ラッシュを捌いていました。私が行く前に、チャン・ドゥック・ルオン大統領がミャンマーを公式訪問していましたが、恐らく整然としたヤンゴン市内の交通状況に驚いたことでしょう。ベトナムとミャンマーの民族性の違いもありますが、今何とか手を打たないと大変な事態になることは、目に見えています。(す)

★サイト内検索★

【翻訳】
★ホーチミン市に急行する
韓国人ビジネスマン
(020515)
Korea Times
Seo Jee-yeon 記者

2002/05/06


ホーチミン市は東南アジア地域における韓国人ビジネスマンのハブになってきている。ますます多くの韓国人ビジネスマンが、昨年の米越通商協定の発効に続いて、南部ベトナムに急いでいる。

協定が発効される前、ベトナムから米国への出荷には40〜90%の高い関税がかけられていた。しかしながら、協定発効によって差別待遇なしで米国へ品物を送れるようになり、ベトナムは輸出市場をより広く開拓している。その結果、韓国人ビジネスマンが大挙してベトナムに押し寄せているのだ。

同時に政治的な安定度という点で、インドネシア、インドおよびパキスタンのような国々から、多くの韓国人ビジネスマンがベトナムへとシフトした。

先月の時点で約600の韓国企業がホーチミン市で稼働しており、この4ヶ月間で100企業が増えた。それらには、韓国企業の支店147、韓国からの投資で現地で設立された200の会社、および250の自営トレーダーが含まれており、ベトナムの安くて生産的な労働力を後ろ盾に、織物、靴およびバッグを製造し輸出することに多くが没頭している。現在7千人の韓国人が現地でビジネスを行っているが、この数字には3千人と見積もられる短期訪問のビジネスマンは含まれていない。

昨年の韓国からベトナムへの投資は15億ドル。その46%がホーチミン市およびその近郊に向かった。韓国企業は約7万5000人のベトナム人労働者を雇用している。

ホーチミン市は、ベトナムの全工業生産高の70%を占めており、国全体の十分の一の人口を擁する。一人当たりの年間GDPは1460ドルで、全国平均400ドルの3倍以上である。

     ◇

【越南寸評】
○…韓国人にとってベトナムは近しい存在であるようです。その昔、米国の要請でベトナム戦争に派兵した苦い民族的記憶もあるからでしょう。大宇や現代、三星、そして大韓航空に代表される韓進といった財閥はすべてベトナム戦争と強い関わりを持って形成されてきました。いま静岡大学人文学部で教鞭をとる朴根好(パク・クンホ)助教授の若き日の労作(注)を読めば、それがよく分かります。また近年では若い世代を中心に韓国軍の「戦争犯罪」を自問する動きもあります。韓国社会がそれだけ成熟してきた証左でありましょう。

○…ベトナム戦争中のサイゴンには多数の韓国民間人もやってきて、商売をしていました。キムチはサイゴン風に加工されて今でも広く食されています。そのベトナムに韓国人ビジネスマンが怒涛のごとく押し寄せたのが1990年代前半。97年のアジア通貨危機が本国経済を直撃したため一時撤退する企業が相次いだのですが、再びここにきて韓国企業の第二次ベトナムブームが起きているようです。昨年の米越通商協定の発効やアセアン域内の自由貿易化をにらんで、労働集約型輸出産業をベトナムにシフトさせようという動きです。

○…先日もホーチミン市内のレストランで韓国人ビジネスマンの一行と一緒になりました。「コリア、コリア」と従業員に愛想を振りまく彼らを見ていると、少し自己主張が強いなあと思う半面、昨今の日本人ビジネスマンが失ったバイタリティーを感じさせてくれました。(す)

(注)朴根好『韓国の経済発展とベトナム戦争』(御茶ノ水書房、1993年)

【越南ぼやき節】
2002年5月10日

団体客ら170人、未明まで空港に足止め
【ホーチミン10日越南太郎】10日午前0時30分(日本時間同日午前2時30分)にベトナム・ホーチミン市のタンソンニャット空港を離陸する予定だったベトナム航空940便関西空港行き=ボーイング767−300=は、機材不良のため大幅に出発を遅延、同一機材で午前5時50分に離陸した。

 同便には日本人団体旅行客ら170人がチェックイン、二度にわたり機内へ誘導されたが、その都度引き返し、空調の切れた空港待合室で早朝まで待機した。この間、飲料だけが無償支給された。

 カンボジア・アンコールワットの遺跡巡りからの帰りだという岡山県津山市の女性(66)は、「シエムレアプから(タンソンニャット空港に)着いたのが午後7時半、(乗り継ぎなので空港外に出れず)夕食は軽食で済ませただけなので疲れました。安全運航が第一なので待つだけです」と話した。また現地日系企業駐在員は「国内のローカル便ではよくあることですが、国際線がこれでは……」と半ば諦め顔だった。

 940便には日本人乗員は1名が配置されているのみ。「技術上の問題による遅延」とベトナム語と英語、日本語で簡単にアナウンスされたが、見通しについて同航空からの公式説明はなかった。地上勤務員の一人は記者の質問に答えて、「代替機材を探している。見つからなければホテルへの臨時宿泊になるが、現在最終的な指示を待っている」と答えた。

 午前5時前、「技術上の問題をクリアできた」として同一機材への搭乗を開始。乗客の一人は「さっきは整備にかなりの時間がかかると言っていたのに、本当に大丈夫なのか」と不安の声をあげた。また安全性を信じられないという乗客一名が翌日便への振り替えを希望したが、聞き入れられなかった。

 同機は定刻より5時間遅れで関西国際空港に到着したが、「航空会社から侘びのひとつもない」と憮然とした表情で入国審査場に向かう男性客もいた。

     ☆

○…飛行機に遅延や運休はつきものとは分かっていても、実際に自分が巻きこまれると嫌なものです。その昔、雪の成田で一夜を過ごしたこともありますし、飛行機ではありませんがベトナムでは南北統一鉄道の停車した車内に2日間ほど閉じ込められたこともあります。

○…人間だれしも「非常事態」になって初めて力量の差が現れたりしますが、これは航空会社にしてみても同様でしょう。小生がベトナムと関わりだした1989年の時点で、ベトナム航空の国際線はモスクワ便とバンコク便などとたかが知れていました。バンコクからハノイに向かうソ連製ツポレフ134型機の機内食は簡素で、生ぬるいコーラとデザートにはバナナ一本がそのまま出されました。

○…その後現在までの10年少し、ベトナム航空の路線網の拡大とサービスの向上には目を瞠るものがあります。94年だったか関西空港への直行便就航を前に来日した副社長ら一行を取材したことがありますが、みな30代以下で英語を巧みに操る姿に「ベトナムも変わったもんだ」と強い印象を受けたことを覚えています。

○…しかし一方で、形ばかりの国際標準を追い求めているのではないか、そう思うこともあります。拡大する路線網に見合う機材や整備員は十分に確保されているのでしょうか。もちろん安全性を第一に考えているでしょうが、万が一の場合の補償規定はどうなのか。スタッフの教育はどうなのか。

○…筆者は決してクレーマーではありません。しかし、事実をきちんと書いておいたり、意見や苦情を寄せることが企業や人間を育成するカギだと考えています。よき消費者こそがよき企業を作っていく----と思います。その意味で「文句を言う」ことは重要です。(す)

【追記】念のためですが、タンソンニャット空港の地上勤務員たちは、彼女ら彼らなりに真面目に対応していたと思います。ただ大幅遅延の場合、夜食やホテルを手配するにしても、真夜中のベトナムの場合、どこにも手配するところがない----といったお国柄があるわけです。せめて空港内に一軒だけある軽食ラウンジを開けておいてくれたらと思いました。その場合、従業員に超過勤務してもらう訳ですから、航空会社上層部があらかじめそういった契約を業者と交わしておくべきだと考えるわけです。


【越南ぼやき節】
2002年2月16日

○…久しぶりに旧正月(テト)のハノイに2日間だけ行ってきました。前回訪れたのが1999年ですから、3年ぶりです。南のホーチミン市には年に数回赴くのですが、ハノイへの足は遠ざかっていました。

○…テト3日(2月14日)はあいにくの雨模様で、外は朝から暗く、「ああ、これがハノイなんだよね」と一人合点していました。それにしてもノイバイ空港ターミナルが立派になっていたのにはびっくりしました。関西空港やマニラ空港新ターミナルとどこか似ているなあ、と思いました。国内線しか見ていないのですが、トイレが少ないのが難点でした。

○…ハノイの市街地も新しい道路が出来て、随分様変わりしていました。そんな中、10年前に留学していた頃、お世話になった茶店のおばちゃんだけが、昔同様に接してくれました。「ハノイは変わっていくけど、わたしはこの通りまだ茶店をやってるの」。おばちゃんはそう言って笑っていました。彼女の実直な生き方は、昔も今も変わっていませんでした。このおばちゃんのご主人は、ソ連や東欧暮らしが長かった元外交官です。にも関わらず役得に与ろうとしない姿勢が大好きです。

○…そういえば、昔の国営百貨店の場所にようやく新しい建物が出来ていました。こぎれいな商業ビルで、田舎から出てきた人には、ちょっと入りずらそうな気がしました。先のノイバイ空港新ターミナルやこの新百貨店の登場で、幹部連は鼻高々でしょうが、施設が出来ても魂が入っていないような思いにとらわれたのは、小生のような「社会主義おたく」の僻(ひが)みなのでしょうか。

○…ホーチミンでもそうですがハノイでも、若者の茶髪が増えています。中には紫や青に染めた青年もいます。これらの若者にとって、社会主義や政治などはどうでもよいことなんでしょう。彼らの親がそうなのですから無理もありません。

○…それでいて心ある庶民や田舎の百姓たちは、「何かが違う」と実感しているようです。VTVの人気番組は社会風刺を利かせたクイズ番組で、そこには「弱者の視点」があり、結果として高視聴率を稼いでいるようです。因みにこの番組の女性司会者は、学生時代に共産党支部の書記をしていたそうで、アオザイをきりりと着こなし笑顔を絶やさない彼女は、多くの視聴者に好かれています。

○…「欲望を満たす体系」としての優劣で、社会主義は資本主義に完敗しました。そこで取り入れた社会主義市場経済なるものは、純粋資本主義以上に歪(いびつ)な発展をしていかざるを得ないような気がしてなりません。(す)


現ベトWebに掲載されている独自記事の無断転載を禁じます。
著作権は現代ベトナム研究所に帰属します。

 (c) Copyright 2004-2005 The Modern Vietnam Institute. All rights reserved.  

since98/05/10


▲神戸・岡本の
おしゃれなお店!